撰文-陳頤華
散步作為手段,正好寫成生活隨筆
日本是個將「隨筆」文體發揮得淋漓盡致的國家。
比起散文,更即興;比起日記,又多了些個人見解。隨筆介於這之間的微妙,我稱之為日本人生活體悟中的「曖昧」產物。下筆前必須觀察社會,但不能沉溺其中;書寫時不刻意包裝文字,留下宛如說話的口吻;內容必須對此刻「我」的存在有所感知,並有意識地在日常瑣事中,記錄影響人生的思考點。
這種收放自如不帶有壓力的書寫,真是太厲害了。不矯揉造作、面對本質,有時候還可能推翻過去的自己。在當今講求「結論」的思考模式下,「我還在想……目前還沒有答案」的觀點似乎不容易被人接受,但作為隨筆卻能成立。
究竟如何在生活中找到值得書寫的樂趣?把看似無聊的每一日,賦予自覺?直到我意外發現,日本許多「隨筆名家」其實也是「愛散步的作家」後恍然大悟。無論是川本三郎在家附近漫步,哀悼自己對昭和東京的眷戀;池內紀先讀了他人的散步書,實地走訪後又寫又畫地詼諧回應「走過去看看」的樂趣;松浦彌太郎用散步實踐生活哲學,成為固定早起、保持整潔般的自律態度。隨筆家們在走路的過程中,向外觀察也對內探索,讓漫無目的的路程,成為獨處的時間。
原來,散步只是手段,自我相處才是目的。
在充滿雜音與未知的今日,我們發現變動中的漣漪,正悄然成為不安與迷惘的大浪,拍打在近期轉變的人心之中。本期特輯〈與自己散步〉,便取材自日常,聆聽內在的聲音,與不同生命階段的人們,漫步一回探究自我的人生小徑。從樂團主唱安部勇磨對本質的迷惘、寫真家川島小鳥對「變與不變」的誠實告白,到禪師枡野俊明以有我和無我的狀態覺察當下,面對《秋刀魚》第一次挑戰更深層的內心沉澱,我們調低外在的雜音,向他人談談自己:原來每個人都有煩惱、原來可以不用急著找到正確答案、原來我們都是一個人來到世上。
獨自散步並非總是憂鬱,有時候與不同「視角」的朋友一起漫遊,會讓自己看見截然不同的風景。透過漫畫家本秀康與其愛犬mocozo的相處,感受彼此的溫柔;走遠一點來到史努比博物館,擁抱柔軟的療癒哲學。隨可愛小狗放低姿態的眼界,讓一趟路程走得更自在有趣。
不用成為隨筆家也能散步,走著走著,世界安靜了下來,試著聽見日本哲學家國分功一郎《閒暇與無聊》所說的「無聊的聲音」。這段路,或許早已成為了生命中的隨筆。
散歩という手段が、暮らしのエッセイになる。
日本ほど、「エッセイ」という文体を自在に使いこなしてきた国はないと思う。
エッセイは、随筆よりも自由で、日記よりも少しだけ自分なりの視点が加わる。その絶妙な距離感こそ、日本人が暮らしの中で培ってきた「曖昧さ」から生まれるものだと思っている。 書き始める前には、社会を眺めながらも、そこに飲み込まれすぎない。言葉にするときは、飾り立てず、まるで誰かと話しているような口調を残す。そして、いま、この瞬間の「私」という存在を意識しながら、何気ない日常の中にある、人生を動かしていく思考の種を記していく。
そんなふうに、力みすぎず、必要なところでは踏み込み、また軽やかに引いていく。そんな自在な書き方が、なんともすごいと思う。取り繕わず、本質と向き合い、ときにはこれまでの自分さえ覆してしまうこともある。何事にも「結論」を求めがちな今の時代に、「まだ考えているところです。今のところ、まだ答えはありません」という考え方は、なかなか受け入れられにくいのかもしれない。それでも、エッセイという形であれば、そんな未完成な思考さえも、一つの表現として成立する。
では、日々の暮らしの中で、書き留めたくなるような面白さは、どうすれば見つけられるのだろう。何気なく過ぎていく毎日に、自分なりの意味や気づきを見いだすにはどうすれば?そんなことを考えていたとき、ふと気づいた。日本の「名エッセイスト」と呼ばれる人たちには、「散歩好きな作家」が驚くほど多いということに。例えば川本三郎は家の近所を歩きながら、昭和の東京への尽きない郷愁に静かに向き合う。池内紀は人の散歩本を手に取り、自らもその道を歩き、文章とスケッチを添えながら、「歩いてみる」ことの面白さを軽やかに返していく。松浦弥太郎は散歩を暮らしの哲学として実践し、早起きや身の回りを整えることと同じように、自らを律する習慣へと育てていった。 エッセイストたちは、歩きながら外の世界に目を向けると同時に、自分の内側にも耳を澄ませている。あてもなく歩く時間は、いつしか自分自身と向き合うための、静かなひとりの時間になっていく。
散歩は、あくまで手段だった。自分と向き合うことこそが、その先にある目的だったのだ。
雑音があふれ、先の見えない時代を生きる今。変化のなかに生まれた小さな波紋は、いつしか不安や迷いという大きな波となって、私たちの心に静かに押し寄せているように感じる。だからこそ、今号の特集「自分と歩む」は、そんな日常の中から生まれた。自分の声に耳を澄ませながら、それぞれ異なる人生の時間を歩む人たちとともに、自分という存在を見つめ直す、小さな散歩道をたどってみたいと思った。本質とは何かを問い続けるバンドマン・安部勇磨の揺らぎ。「変わること」と「変わらないこと」をまっすぐに見つめたる写真家・川島小鳥の率直な言葉。そして、有我と無我のあいだを行き来しながら、「今、この瞬間」に意識を向ける禅僧・枡野俊明のまなざし。『秋刀魚』にとって初めてとなる、より深い心の内側へと踏み込む特集を通して、私たちは外の世界の音を少しだけ小さくし、誰かに向けてではなく、自分自身について語ってみる。
誰もがそれぞれの悩みを抱えていること。答えは、急いで見つけなくてもいいということ。そして私たちは皆、一人でこの世界に生まれてきたということ。
一人で歩く時間は、決して寂しいものばかりではない。ときには違う「まなざし」を持つ誰かと歩くことで、自分ひとりでは気づけなかった景色に出会えることもある。漫画家・本秀康と愛犬 mocozo の日々からは、お互いに寄り添うやさしさを感じる。そして少し足を延ばして、スヌーピーミュージアムへ。そこには、肩の力を抜いて生きることを教えてくれる、やわらかな癒やしの哲学があった。小さな犬の目線まで少しかがんでみるだけで、いつもの景色は少し違って見えてくる。そんな視点の変化が、一歩一歩を、もっと自由で、もっと楽しいものにしてくれる。
エッセイストでなくても、散歩はできる。歩いているうちに、世界は少しずつ静かになり、日本の哲学者・国分功一郎が『暇と退屈の倫理学』で語った「退屈の声」にも、耳を澄ませられるようになる。
その道のりは、気づけばもう、人生のエッセイになっているのかもしれない。
◎ Features
第52期《秋刀魚》〈與自己散步〉
▌Taking a Walk
音樂人 安部勇磨
寫真家 川島小鳥
禪師 枡野俊明
▌Scenes of Life
「北欧、暮らしの道具店」五種生活風景
國分功一郎《閒暇與無聊》的閱讀隨筆
▌My Own Time
讓我們內心發光的作品選
與自己相處的方式
名犬mocozo與漫畫家本秀康的幸福日常
◎ Regulars
四十七新聞
地方通信:島根 from 王昱文
亞洲電波:他們依循內心聲音成為作家
雙城案內:東京深夜古書店|京都異國料理與攝影空間
囉唆系主廚:高蛋白豆乳素麵
音楽配信:東京音樂敗家日記
注目番組:龍貓大王
GOOD DESIGN AWARD:Romi、Moflin 和Poke-tomo
自体燃焼:NEW 澀谷
安田先生出差中:人生場景裡總有一個「他」
◎ Events
現場直擊
《你好,我是谷川俊太郎——詩人與他的創作展》
◎ Special Feature
SNOOPY MUSEUM TOKYO 東京史努比博物館
欲觀看完整內容,請購買第52期〈JAZZ & LIFE〉૮ ・ﻌ・ა