撰文—橫田大、攝影—小川尚寬、翻譯協力—洪如觀
不只是美國村,更是不羈的才華之地
-台湾の読者に向けた「福生」初紹介-
你了解「真正的東京」嗎?
臺灣與日本長期以來文化交流深厚,尤其是東京。對許多臺灣人來說,「東京」在每個人心中都有獨特的樣貌。然而,知道我們即將介紹的這座城鎮的人或許少之又少。
這裡曾經是大瀧詠一、細野晴臣、桑田佳祐、忌野清志郎、真島昌利(前THE BLUE HEARTS成員)、山口冨士夫(前村八部成員)、布袋寅泰(前BOØWY成員)等傳奇音樂人的活動地;也是村上龍、山田詠美等小說家筆下的靈感來源。到這裡取材時甚至聽聞,年輕時的福山雅治和リリー・フランキー(Lily Franky。本名:中川雅也)都曾在此打工生活。
究竟一開始是誰稱這一帶為「美國村」的呢?可以追溯至二次世界大戰到越戰期間。這些為了來日駐軍的美國士兵,而在橫田基地周邊興建的住宅——「米軍ハウス」(美軍 house),隨著裁軍,開始出租給日本人。由於租金低廉,又充滿濃厚的美式文化氛圍,從1960年代起,吸引了眾多才華洋溢的音樂人、設計師與藝術家聚集於此。
這並非一段塵封的往事。即使近年,福生的live house依然充滿活力,像是RIZE的Rio、鎮座DOPENESS,以及當紅樂團King Gnu的新井和輝,甚至備受矚目的獨立音樂人君島大空和岡田拓郎(前森は生きている成員),Regallily的たかはしほのか,都從他們的高中時期開始,頻繁出入福生的live house。
而這座「美國村」,正是本次特輯的主題——福生。
從村上龍的《限りなく透明に近いブルー》(接近無限透明的藍)、田中小実昌的《バンブダンプ》再到《スローなブキにしてくれ》,以福生為舞臺的小說、電影與電視劇不勝枚舉。從以前到現在,以貫穿「美國村」的國道16號線為中心,福生聚集了許多郊區少見的獨立特色店家。
不過最能代表福生的,還是「赤線」(紅燈區*¹)的存在。據說日本搖滾史上,1970年代House音樂熱潮的中心是瑞穗和狹山。但「赤線」從還是一片片麥田環繞的時代開始,便成為日本與美國無論好惡,都持續交會的場所。具體情況稍後再談,不過正是在這片「赤線」區域,先前提到的live house也已經營運了50年。
在這樣的紅燈區中,曾經有過這樣一幅壁畫——凝視著天上神明的裸體女性,頭頂上寫著「愛」字,同時有支火箭或噴射機衝向她;一名黑道和一名藍臉嘴叼著鈔票的外國人,正看著吹奏喇叭的長髮黑人男子;還有大海、蕈狀雲與椰子樹——這是年輕時的Lily Franky所繪製的畫作*²。出身福生的我與當地居民,雖然不太明白他描繪了什麼,但也將其視為護身符般的存在,或是象徵街道的紀念物。很遺憾地,這幅壁畫在2024年隨著都市更新而消失,但即使在赤線的全盛期過後,福生仍保有其他城鎮沒有的獨特文化,而這股文化依然確實地存在著。
圍牆另一頭就是綿延的美國領地,福生在時光的更迭和戰爭的刻印下,嬉皮文化崛起。乍看之下的反戰立場,卻帶著一股悠閒氛圍,無論在經濟還是文化上,都因美軍駐日受惠。在這方面,福生或許可以說是日本的縮影,稱它是許多日本人已經遺忘的「東京舊市區」也不為過。
這個舊市區的景象,或許會重新改寫你對「東京」的印象。從新宿或澀谷往西邊出發,僅需不到一小時的車程。正因為位處偏遠的地區,福生走過了不是那麼地下又不是主流的流轉,歷經與其他街區不同的發展,成為了「另類東京」。現在,就讓我們一起來探訪福生的此時此刻吧!
あなたは「本当の東京」を知っているだろうか?
台湾と日本、特に東京は長きにわたって互いのカルチャーを交わらせてきたから、もはや多くの臺湾人にとっての「東京」は一人ひとりの中にユニークなものとして存在している。でもこれから伝える街のことを知る人は、ほとんどいないのではないだろうか。
かつてその街には、はっぴいえんどの大瀧詠一や細野晴臣、忌野清志郎、真島昌利(ex.ザ・ブルーハーツ)、桑田佳祐、山口冨士夫(ex.村八部)、布袋寅泰(ex.BOØWY)といったレジェンド・ミュージシャンたち。あるいは村上龍や山田詠美などの小説家がいた。若かりしころの福山雅治やリリー・フランキーが住み込みで働いていた、という話もちらほらと聞く。
誰が言い出したのか、その一帯は“アメリカ村”と言われた。もともとは、第二次世界大戦からベトナム戦争にかけ、米軍に従事する人々のための住宅・米軍ハウスが基地周辺に建てられたことがはじまりだった。それが軍縮にともない日本人にも貸し出されるようになり、家賃も安くてアメリカの文化を間近に感じられる場所ということで、60年代から才能あふれるミュージシャン、デザイナー、アーティストたちのたまり場となっていった。
なにもこれは昔話ではない。近年も街のライブハウスにはRIZEのRioや鎮座DOPENESSをはじめ、いまや押しも押されぬKing Gnuの新井和輝、インディペンデントで評価の高い君島大空や岡田拓郎(ex.森は生きている)、リーガルリリーのたかはしほのかは同世代で、高校生のころからこの箱に出入りしていたという。
この“アメリカ村”を代表する街が、本特集の舞台「福生」だ。
「限りなく透明に近いブルー」(村上龍)、「バンブダンプ」(田中小実昌)、「スローなブキにしてくれ」など多くの小説、映画やドラマの舞台として描かれたのは枚挙に暇がなく。今も昔も“アメリカ村”を縦断するように走る国道16号を中心に、郊外にしてはめずらしいユニークな個人商店が軒を連ねる。
でも代表する、と言い切るのは、福生に「赤線」*¹があることが大きい。一説に70年代の日本のロック史におけるハウスブームの中心は瑞穂や狭山だったとする向きもあるが、赤線はこのあたりが一面麦畑だったからころからずっと、好むと好まざるとにかかわらず日本がアメリカと交わり続けてきた場所だったからだ。詳しくはあとに譲るが先のライブハウスも、ほかでもない赤線で50年続いてきた。
そんな赤線にはかつて、こんな壁画があった——天の神様を見つめるヌードの女性と「愛」という言葉、そこに突っ込むロケットかジェット機。ラッパを吹く長髪の黒人を見つめる、札束を咥えた青い顔の外国人とヤクザ者。きのこ雲ととヤシの木——若きリリー・フランキーが描いた絵*²である。福生出身の筆者や地元の人間はこの壁画を、何が描かれているかもわからないままお守りのように、街のモニュメントのように思っていた。壁画は惜しくも昨年2024年に再開発でなくなってしまったが、福生には最盛期がすぎた後も、ほかの街にはない独自のカルチャーがたしかに息づいていたのだ。
フェンスの向こうに地続きのアメリカをのぞみ、時代の流れもあるが戦争の影響をもろに受けたがゆえヒッピーカルチャーが台頭。表向きの態度は反戦としつつも、都心とは違うダラっとした空気で、その恩恵はしっかりと経済的にもカルチャーとしても享受してきた街。福生はある意味、日本の縮図と言えるかもしれないし、多くの日本人が忘れた“東京の旧市街”とも言えるのではないか。
この旧市街の景色はおそらく、あなたの「東京」のイメージを塗り替える。新宿や渋谷から西に一途1時間あまり。そんな僻地ゆえアンダーグラウンドともメインともつかぬ変遷をたどり、どの街とも違う進化を遂げてきた、“オルタナティブな東京”福生のいまを共に訪ねてみよう。
筆者簡介|橫田大
出生於東京都福生市。編輯、創意總監。從事書籍、雜誌和網絡媒體的編輯以及廣告製作後,秉持著「以偏愛創造寬容的世界」的理念,創立了「Camp Inc.」。
東京都福生市出身。編集者、クリエイティブ‧ディレクター。書籍や雑誌‧Webメディアの編集、広告制作を経て、“偏愛で世の中に寛容をつくる“Camp Inc.“を設立。
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