地域振興公司創辦人

佐藤竜馬

Instagram:@ryumasato

我父親曾經和一位以橫田基地為根據地、寫廣告文案的朋友一起住在米軍ハウス(美軍house),雖然我從小就對福生的特色略知一二,但直到現在我才真正意識到這個地方的魅力。10年前左右,我在一家廣告代理商負責廣告設計、行銷、品牌建立(branding)、製作網站和拍攝影片等工作。那段時間,我在福生創立了一家地域振興公司NPO法人「FLAG」,旨在利用地方資源活絡社區。現在也透過FLAG在福生經營著名為「DELTA EAST」的小廣場,裡面匯集了多家餐車,共有5間飲食店,包括披薩店披薩店DOSUKOI PIZZA、甜甜圈店APPLE CIDER DONUTS、精釀啤酒店Delta Brewing&Co⋯⋯等。此外,還提供露營車住宿「The TINY Inn」的服務體驗。

もともと父親も横田基地周辺のこのエリアにコピーライターの友人と米軍ハウスをシェアして暮らしていたこともあり、自分が幼少のころから地域の文化や魅力はなんとなく知っていたが、この歳になるまであまり街の魅力に気づいてなかった。ちょうど10年前に広告代理店や、広告デザインなどマーケティング、ブランディング、広告広報、ウェブサイトや映像などを制作する会社にいたのですが、在籍中に、まちや地域の価値を高める会社(NPO法人FLAG)を設立して現在事業所も福生にあります。現在も「FLAG」を通じて、福生にある「DELTA EAST」という小さな広場を運営しています。この広場には複数のフードトラックが集まり、ピザ店「DOSUKOI PIZZA」、ドーナツ店「APPLE CIDER DONUTS」、クラフトビール専門店「Delta Brewing & Co」など、5軒の飲食店があります。また、「The TINY Inn」というキャンピングカーでの宿泊体験サービスも提供しています。

 

— おすすめ —

DOSUKOI PIZZA

DOSUKOI PIZZA靈感來自相撲選手用語「どすこい」(dosukoi)。提供紐約布魯克林風格的大披薩,提供3種口味可選擇,起司、義式香腸或各一半。

「DOSUKOI PIZZA」の名前は、相撲の掛け声「どすこい」からインスピレーションを得ています。ニューヨーク・ブルックリンスタイルの大きなピザを提供しており、チーズ、イタリアンソーセージ、メキシカンハラペーニョの3種類のフレーバーのみをお楽しみいただけます。

Robert Reiner《Stand by Me》

Richard Donner《The Goonies》

我喜歡美國電影,尤其是1970至1980年代的作品。

アメリカ映画が好きで、特に1970~1980年代の作品に惹かれます。


電影導演

岩井澤健治

X:@iwaityawa

我於1981年生於福生,並在福生生活到6歲。

當時,我住在米軍ハウス,庭院還養了一隻狗。記得那隻狗比當時的我長得還大隻,因為害怕所以我都不敢靠近。過了一陣子,那隻狗突然不見了,我爸媽說牠是自己咬斷鏈子逃走的,但我到現在都還不確定那是真是假。

之後我們就搬離了福生,直到20多歲時再次造訪。當時是因為有一位和我同世代的年輕人致力推廣福生,我和他意氣相投,所以變成了朋友。他帶我重溫兒時記憶的同時,也讓我感受到福生全新的魅力。

每次來福生都能感受到70到80年代的美國化氛圍,又與多摩地區的自然景觀和街道風貌和諧共存,形成了福生獨特的文化。

私は1981年に福生で生まれて6歳ごろまで暮らしていました。

幼少期は米軍ハウスと呼ばれていた家に住んでいて庭で犬を飼っていました。

その犬は当時の自分より大きかったので怖くて近寄ることができなかった記憶があります。

しばらくして、いつの間にか犬はいなくなっていて、親からは自ら繋がれてた鎖を食いちぎって逃げたと聞かされましたが本当かどうか分かりません。

その後、引っ越して福生を離れましたが、20歳を過ぎて再び訪れるようになりました。

きっかけは福生を盛り上げようと街の情報を発信している私と同世代の若者で、彼とはすぐ意気投合して友人になり、彼の案内で幼少期の記憶を遡りながら新しい福生の魅力も知ることができました。

アメリカナイズされた70年〜80年代の雰囲気もありつつ、多摩地域の自然と街並みが調和して福生特有の文化が形成されていていると福生を訪れる度に感じます。

 

— おすすめ —

福生車站西側

頻繁造訪福生的時候,常常會走到福生車站西側那區。從車站出來,直直地往下走就能抵達多摩川附近,可以漫步在街上,並在公園度過悠閒的時光。

福生に良く訪れていた頃は駅の西側エリアに足繁く通っていました。駅からそのまま真っ直ぐ下ると多摩川も近いので、街を散策して公園でのんびり過ごすのもおすすめです。

吉田秋生《河よりも長くゆるやかに》(比河川更長、更緩地流淌)

以80年代的福生為背景,圍繞在高中生之間的人際關係描寫得十分出色。當時的時代背景也成為故事的一大亮點,是一部風格獨特的青春群像漫畫。

80年代の福生を舞台に高校生の主人公達を中心とした人間模様が秀逸で、当時の時代背景も物語のアクセントになっていたり一風変わった青春群像劇です。


臺灣DJ &演出企畫

Spykee

Instagram:@spykeefat

2023年夏天,解封後第一次到日本,與快四年不見的東京兄弟DJサモハンキンポー(我都叫他源醬)約好,造訪他在疫情期間自吉祥寺移住的福生新家。美軍基地印象聽來雖遠,但福生市仍屬東京都,是都內唯一有美軍基地設施的城市。自新宿中野一帶乘中央線向西比想像中快,直達不到一小時。

源醬本是日本funk soul樂團「思い出野郎AチームOYAT」的樂手(休息中),透過音樂同好介紹,移住福生知名的創作聚落「米軍ハウス」,對門鄰居是當紅的民謡クルセイダーズ(民謠十字軍)團長田中克海,以及攝影師小川尚寬。與源醬四年不見聊超多事,聊音樂,聊疫情,聊他當了爸爸,聊我在身心與工作上的轉變。當時他提到在找店面要開book café,一年後的夏天「Cha Cha Cha Books」誕生,給了我這趟前往福生的理由。

2024年12月,第二次來到福生,在Cha Cha Cha Books入手沖野修也的自傳,飽餐源醬手作咖喱。深夜至「Eddie’s」放歌,與同街老牌live house「Chicken Shack」皆為50年老店。來聽歌者皆是音樂宅。一位來過臺北的digger好奇問我:「臺灣是不是很少中古黑膠。」老闆娘看上去應超過70歲,徹夜仍熱情駐守吧檯。主辦Ken哥追酒之餘不時送上現烤燒鳥。

吃喝到三點半返回旅店。翌日中午要抵達新宿,早上九點前起床非易事⋯⋯鬧鐘太快響了吧!不是剛剛睡著嗎!咬牙起身拉開窗簾,斗大的富士山逕自窗外發光,瞬間宿醉揮發。在日本,果真萬物皆有神,都道府縣市町村亦然。感謝福生的照顧。

 

— おすすめ —

Cha Cha Cha Books

我和源醬認識近十年,這裡像是他的生活品味體現。請空著肚子前往,手作咖喱或古巴三明治皆大推。愛樂者不要錯過選書區左側的音樂書籍,那是華語出版品永遠不會達到的音樂知識與觀念資料量,也是學日語的愛樂者詞彙量level up的寶庫。喜歡雷鬼、dub、house、或任何有趣音樂都可以跟他聊,他會非常開心。

民謡クルセイダーズ(民謠十字軍)〈日本民謡珍道中〉

近年備受矚目的日本民謠拉丁樂隊,由現居福生的吉他手田中克海邀集一票拉丁爵士好手,將日本傳統民謠改製成加勒比風味。如50年前的大瀧與細野,改變不只一個世代的日本流行樂面貌;五十年後的民謡クルセイダーズ也正在同樣的創作基地:米軍ハウス,進行另一次古今文化再造。福生風貌之多變,乍似典型手工古著美國村,第二眼則富含古巴牙買加的奔放韻味。細節中若能感到一絲風雅,即是日本。


音樂人

岡田拓郎

Instagram:@okd_tkr

我四歲時搬到福生,直到20歲初離開老家前都住在那裡。我的父母現在仍住在福生,所以我偶爾會回去探望。這個地方充滿我少年時代的回憶,除了國道16號線上沿著橫田基地而生的美式店家,還有被東京郊外寧靜景色環繞的多摩川堤岸。記得以前每當父母入睡後,我會悄悄溜出家門,和朋友們在公園裡談論對未來的煩憂或是喜歡的女孩,這裡充滿了我十幾歲的回憶。而我人生中的第一次音樂體驗,就是在鎮上的祭典音樂上,那時並沒有人教我,我只是在旁邊模仿大人們敲太鼓,並加上類似「ghost note」的節奏。老實說,我當時的太鼓打得還算不錯。小學6年間,每次祭典我都會坐上花車打太鼓。到了十幾歲中期,我開始常常去赤線的live bar「Chicken Shack」表演jam session,與一群嬉皮風的老爺爺以及在美軍基地工作的美國人一起彈藍調吉他。而第一次用音樂賺到錢是在高中時,當時我在「Chicken Shack」的卡拉OK比賽中擔任伴奏。至今,我常光顧的一家樂器店仍在福生。這座城市,將音樂與我緊緊地連結。

福生には4歳の頃に引っ越してきて実家を離れる20代前半まで住んでいました。両親は今も福生に住んでいるので、時折遊びに行きます。横田基地に沿うアメリカンな商店が連なる16号沿いはもちろん、東京の郊外の長閑な風景に囲まれた多摩川の土手沿い、両親が眠りについた夜中に家を抜け出して友達と集まり将来への不安や好きな女の子の話をしていた公園など、10代の頃の思い出が詰まった街です。そして僕にとって生まれて初めての音楽体験は町内の祭囃子でした。誰から教わった訳でもなく、大人たちが太鼓を叩く姿を見よう見まねで覚えて、いわゆるゴーストノートのようなものを入れながら叩いていました。控えめに言って、かなり上手い太鼓叩きだった。小学生の6年間、お祭りの時はいつも山車に乗って太鼓を叩いていました。10代の半ばから赤線にあるライブバー”チキンシャック”のジャムセッションに足繁く通い、ヒッピー風のおじさんや基地で働いていたアメリカ人に混ざってブルース・ギターを弾いていました。初めて音楽でお金を稼いだのは高校生の頃”チキンシャック”のカラオケ大会で伴奏を弾く仕事でした。子供の頃から今でも通い続けている楽器店も福生にあります。音楽と僕を繋げてくれた街。

 

— おすすめ —

韮菜万頭

雖然這是一家中餐館,但與一般的中華料理店不同,它的味道和份量感更接近美國的中餐館。這裡的招牌韮菜饅頭塞滿了韮菜和蝦,是只有在這裡才能品嘗到的獨特味道!

中華料理店ではありますが、いわゆる中華料理というよりはアメリカにある中華料理店のような味付けとヴォリューム感。たっぷりのニラとエビが入った名物のニラ饅頭はここでしか食べられない味です!

村上龍《接近無限透明的藍》/《限りなく透明に近いブルー》

在這本書裡福生被描繪成一個聚集社會邊緣人的地方。雖然故事發生在我出生的20年前,但這種猥雜氛圍的餘韻仍然飄散在福生街頭上。是一本擁有史上最美麗書名之一的書。

ここでは社会からはみ出た人々が集まる街として福生が描かれる。僕が生まれる20年も前の話だが、それでもこうした猥雑なムードの残り香は僕が子供の頃の福生にもまだギリギリ残っていたような気がする。最も美しいタイトルの本の一つ。


音樂人

高井息吹

Instagram:@eve1015

我高中時就讀福生高校,20歲時也在福生打工快10年,所以福生對我來說可謂青春的象徵。我在高中時加入了搖滾社,為什麼不是常見的輕音部而是搖滾社的原因,我想與深根於福生獨特的文化有關。福生有一條看起來有點可怕、讓人不太敢進入的街道,那裡有許多老字號的live house和club,被稱為「赤線」。高中畢業後,我常和一些音樂人朋友去各個店裡玩,遇見的人和場所都成為我難以忘懷的回憶。無論是現在還是過去,福生一直孕育著許多有才華的音樂人,也都可以在這些店裡和他們相遇、交流音樂甚至合作。除了赤線,在國道16號線和美軍住宅區旁,有許多美式風格的店,秋天時,在橫田基地裡還會舉辦名為「日米友好祭」的活動。福生是一個一旦造訪,就絕對無法忘記、富有濃厚色彩的所在。在這裡,彷彿過著與外界完全不同的時區,人們充滿生氣,自信地生活在在這片土地上。這裡的氛圍只有在這裡才能體會,如果可以,我真心希望你也能親身感受。

在福生高校遇見的前輩,畢業後在マネチキ餐廳合影。

10代は福生高校に通い、20代も約10年間、福生でアルバイトをしていたので、福生は私にとって青春の街です。高校生の時はロック部に入っていました。「軽音楽部」ではなくて「ロック部」という名前の部活があることが、独自のカルチャーが根強い福生に生まれた高校ならではだったと思います。福生には「赤線」と呼ばれている一見怖くて入りづらい通りがあり、そこには老舗のライブハウスやクラブが並んでいます。

高校卒業後は友人のミュージシャンと一緒に福生にある色んな店に遊びにいきましたが、出会う人も場所も強烈に記憶に残る思い出ばかりです。福生からは、今も昔もたくさんの才能あるミュージシャンが輩出されていますが、彼らも皆それらのお店で出会い、セッションをして交流を深めていました。

他にも、アメリカンな佇まいなお店が立ち並ぶ国道16号沿いや米軍ハウス、秋には米軍基地の中に入れる日米友好祭というフェスティバルがあったり、一度訪れたら絶対に忘れられない色濃い時間を過ごせるのが福生という街です。

どこか時が止まっているようで、でも生々しく誇りを持ってこの場所で生きている街の人たち。この場所での営みにしか感じられない空気に、是非触れてみてほしいと思います。

 

— おすすめ —

JESSE JAMES 福生店

位於福生車站附近的銀座通上的牛排館。招牌菜是辣味牛肉湯和厚切牛排,還有波本威士忌。木構的建築中,播放著爵士樂,讓人彷彿來到美國小鎮的餐廳。

與和福生有緣分的樂團成員在JESSE JAMES現場演出。

こちらのお店は16号沿いではなく、福生の駅の近く、銀座通りにあるステーキハウス。お店の名物はチリコンカーンと分厚いステーキ。そしてバーボン。木で囲まれた店内にはジャズが流れていて、アメリカの田舎町のレストランに来たような気持ちになれます。

Hainuwell〈放浪者の目覚め〉

作為一個活躍於日本各大音樂場景的音樂人,福生出身的長號演奏家NAPPI推出了個人企畫「Hainuwell」,也是我認識的最愛福生的人。他的專輯曲風多變,能夠自由切換各種聲音,時而像歌劇般高唱。如此散發著不安氛圍且具強烈衝擊力的音樂風格,讓人感覺像是他在福生生活的真實寫照。

福生出身でトロンボーン奏者としても日本の様々な音楽シーンで活躍するNAPPIによるソロプロジェクト、Hainuwell。彼ほど福生を愛している人を他に知らない。アルバムの楽曲もジャンルレスで、何色もの声を使い分け、時にオペラのように歌い上げる。禍々しい原色的な音楽性は、彼が福生で過ごしている時間をそのまま反映しているように感じられる。


音樂人、影像導演

VIDEOTAPEMUSIC

Instagram:@videotapemusic

我長大的地方距離福生約10公里,開車約30分鐘。雖然不記得初次意識到福生這個特殊城鎮是在幾歲,但在童年記憶中,日落後西邊的天空總是隱約泛著紅光,那大概是來自福生橫田基地的燈光。多年後,我才意識到,電視新聞中發生在那些遙遠國家的戰爭與當時的紅色天空其實有著緊密的聯繫。20歲時,我拿到了駕照,常常借用父母的車去福生兜風。穿過平凡的東京郊外,接近福生時,天空逐漸開闊,美軍基地的圍欄映入眼簾。國道16號線沿路能看到棕櫚樹、古著店、美式古董店和英文招牌,彷彿瞬間穿越到異國世界。開車30分鐘就能抵達「附近的美國」,我當地的朋友都是這樣稱呼福生的。我曾在某家古董店買過錄有1950年代美國電台廣播的CD,沿著國道16號線邊開邊聽,就像展開了一趟低成本的偽美國旅行。我的歌曲〈Ushihama〉(牛浜是福生的一個車站)便是描寫當時的心情。還有在橫田基地的祭典上,取樣了基地內十幾歲年輕人喧鬧聲音的〈Her Favorite Moments〉,以及在福生現存的米軍ハウス中拍攝MV的〈Fiction Romance〉,都是與福生相關的創作。像是在日常中突然出現的美國異文化入口,福生所展現的風景,成為了我巨大的靈感來源。

〈Fiction Romance〉的MV

私が生まれ育った場所は福生から10kmほど東にあり、車だと30分ほど。初めて福生という特殊な町のことを意識したのは何歳の頃だったかは覚えていないが、子供の頃の記憶として、日が沈んだ後も西の空が夜中ぼんやりと赤く光っていた光景を思い出す。あれはきっと福生にある米軍横田基地の灯りだったのだろう。テレビのニュースで見た遠い国の戦争と、あの時の赤い空の色が、実は繋がっていたと気づくのは何年も後のことだ。20歳で車の免許を取ると、親の車を借りて福生までドライブすることが増えた。何の変哲もない東京の郊外を走り、福生のあたりに差し掛かると徐々に空が広くなり、米軍基地のフェンスが見えてくる。国道16号線に入れば、道路沿いにはパームツリーや古着屋やアメリカ風アンティークショップや英語の標識が現れ、突如異国にワープしたような気分になる。車で30分で行ける近所のアメリカ。福生のことは地元の友人たちとそう呼んでいた。あるアンティークショップでは50年代のアメリカのラジオ放送を録音したCDRが売られていて、それをカーステレオで聴きながら国道16号線を走れば、安上がりな擬似アメリカ旅行が始まる。

私の曲「Ushihama」(牛浜は福生にある駅の名前)はその時の気分を表現しているし、他にも横田基地の祭ではしゃぐ基地の中の10代の若者たちの騒ぎ声をサンプリングした「Her Favorite Moments」、今も福生に残る米軍ハウスでMVを撮影した「Fiction Romance」など福生に関係する曲は多い。日常の中に突如現れるアメリカという異文化への入り口。そんな福生を通して見えてくる風景は、私の作品の大きなインスピレーションになっている。

 

— おすすめ —

NICOLA PIZZA

位於國道16號沿線的老字號披薩店。這家長期經營的名店,擁有復古、優雅且寧靜的獨特氛圍,也讓人有一種偽美國行的感覺。說到披薩,我也很喜歡橫田基地內的Anthony's Pizza。不過平時無法進入基地,只有在對外開放的日米友好祭期間才能享受這份美味。

国道16号線沿いにある老舗のピザ屋。基地の町で長く続く名店ならではのレトロで上品で落ち着いた佇まい。擬似アメリカ旅行気分も高まります。余談ですがピザと言えば横田基地の中にあるAnthony's Pizzaも大好き。しかし普段は基地の中に日本人は入れず、基地が一般解放される友好祭の時だけのお楽しみ。

上条淳士《Sex》

故事圍繞著福生、橫須賀和沖繩等美軍基地周邊的城市,描述了年輕人們的故事。這部漫畫於1988年至1992年間連載,特點是用細膩的筆觸描繪了當時福生的街景。無盡延伸的基地圍牆、寬闊的天空、夏日的陽光⋯⋯。這些風景就像是會說話一樣,具有生命力。

福生、横須賀、沖縄といった米軍基地の町を中心に展開される若者たちの物語。1988年~1992年にかけて連載されたマンガで、細密なタッチで描かれた当時の福生の町の風景も見所。どこまでも続く基地のフェンス、広い空、夏の日差し…。風景がとても饒舌。


欲觀看完整內容,請購買 第46期〈American Lifestyle in Japan〉٩(●ᴗ●)۶