撰文—さり柴、翻譯・整理—林珈綺

新島

浜辺には、

しゃかい、せかいを構築するものが浮き上がり、打ち上がってくる。

同じ形をした無機物が、海の中を無尽蔵に漂っている。

誰かに作られ、使われ、手を離れ、

長い時間を旅し、

傷だらけになった身体。

それらは波にもまれて粉のように小さくなって、

他の有機物を介して私は咀嚼さえしている。

 

人の手はゴミを産み、そして拾う。

きれいな海というのは今は人工物に近いのだ。

一方で海岸に打ち上がるものには不思議な神聖さが感じとれる。

色あせた身体と、

かれらが辿ってきた途方も無い道のり。

私はその現実を受け取り、

受け入れなければならなかった。

現代を象徴する海洋ゴミたちを初めてみたように

感じようとし、触り、纏い、交流を試みた。

在海濱,

構築社會、世界的物品漂流著,再被拍打上岸,

擁有同樣形體的無機物在海裡無邊無際的漂流。

被某個誰製造、使用、丟棄,

經過一段悠長的旅行,

身體變得傷痕累累。

這樣的身體被海浪磨成像粉末一樣小,

經由其他有機物被我等咀嚼著。

人們的手,

孕育了垃圾,再拾起垃圾。

而現在,乾淨的海幾乎都是人造的。

但另一方面,

被沖上岸的那些垃圾,

又有著某種不可思議的神聖感——

褪去顏色的身體和那曾走過的、沒有方向的道路。

我接受了這個現實,

應該說我不得不接受這個現實。

我像是初次看見他們一樣,

去感覺、觸模、交纏、交流這些象徵現代的海洋垃圾們。

三宅島

さり柴以海廢作為創作媒材,進行佈置與拍攝。

神津島

藝術家 さり柴

大學畢業後在IT企業擔任服務設計師。對於資本主義、多元文化的共生與環境議題富有興趣,並使用圖像、照片種種媒材,製作立體藝術裝置。喜歡待在離島與海外。

IG|sarshiba

三宅島


在海邊、在美的匯流處-你所未見的關東,敬請參閱《秋刀魚》第36期

夏之海